2008年に訪れた北インドの聖地巡礼中は、厳しい暑さや寒さに加え、慣れない食べ物と水、ハードなスケジュールで、普段は健康な人でも色んな不調がでました。車酔い、下痢、高山病といった様々な不調が参加者をおそいます。ツアードクターとして同行していたスワミジ(のちに私のヨガとアーユルヴェーダの師匠となる人)は、その場にあるもので、アーユルヴェーダの処方をしてくれました。その処方はとてもシンプル&効果テキメンで驚きの連続でした。アーユルヴェーダの叡智に触れることができる貴重な体験でした。ここでは、実際に自分が体験したり、目撃したスワミジの処方を3つ紹介します。1. 発熱に食事療法インドに到着して数日後、私は発熱してしまいました。(インドに行く直前、日本でも熱がでていました。解熱剤を飲み、無理やり熱を下げていたので、本来の健康な体の状態ではありませんでした。)スワミジからは、暑さが厳しい日中は安静にしておくようにと言われました。「せっかくインドに来たのに」と焦る気持ちを抑えつつ、これからの長い旅路への不安感もあり、言われた通り、日中は安静にしていました。ベッドで安静にするのに飽き飽きした夕方頃、涼しくなったマーケットに、スワミジは散歩に連れていってくれました。これがとてもよい息抜きになりました。そして夕食。ビュッフェスタイルで、様々なカレーがずらりと並びます。スワミジは「これは食べていいいけど、今は、これは食べないほうがいい」と食べるものを細かく指示してくれました。その時は「なぜこれは食べてよくて、これがダメなの?」と思っていましたが、とりあえず言われる通りに食べました。振り返ってみると、発熱してアグニ(消化の火)が弱っている状態だったので、じゃがいもやヨーグルトなど消化に時間と体力を要するものは、避けるように指導してくれたようです。これを繰り返すこと、2~3日。私はおかげさまですっかり元気になりました。なんだか日本にいる時よりも、体も心もとても軽やかになった感覚を覚えています。これが私のアーユルヴェーダの原点です。「アーユルヴェーダって何なのだろう?」というワクワクした気持ちが沸き起こりました。2. 車酔いに生姜汁聖地ウッタルカシイへ向かう道は、でこぼこの山道でした。ガードレールもなく、ちょっと間違えば崖に落ちるスーパーワイルドな道です。最初のうちは、ハラハラしながら運転を見守るのですが、約8時間ほど、ガタンゴトンと車で揺られると、もはや感覚が麻痺してきてハラハラしなくなります。吐き気が止まらず、とても苦しそうにしていた女性がいました。酔い止めも全く効きません。トイレ休憩で車を止めた時に、スワミジがチャイ屋さんで生姜のかけらを分けてもらっていました。「何をするのかな?」と見ていると、近くの川で生姜を軽く洗って、自分が身についていたオレンジ色の布で生姜をくるみました。そして、落ちていた石を手にとって、川辺の岩に置いた生姜を手早く叩きはじめます•・・何度か叩いた後、チャイのコップの上で布を絞って、生姜汁ができました。車酔いがひどい女性に、この生姜汁を飲ませてあげると、具合の悪さがかなり改善したようでした。「生姜汁が、これほどに効果があるのか?」と生姜の効果と、生姜汁のワイルドな作り方にとても驚きました。「生姜は万能薬」のちにアーユルヴェーダを学ぶにつれて、生姜の薬効の素晴らしさを知ることになります。3. 下痢にブラックティー日本は気軽にコンビニのトイレや公衆トイレが使えますが、インドでトイレを見つけるには少しテクニックがいります。ウォシュレットや備え付けのティッシュもありません。そんな状況下で下痢になると、精神的な緊張も続きます。何もないところで急にトイレに行きたくなったら、付近の民家にお願いしてトイレをかりるか、木の茂みで用を足すしかありません。「インドはおなかを下す」と旅行ガイドでよく語られているように、オイリー&スパイシーな北インド料理は刺激が強く、下痢になる人が続出しました。私もお腹がゆるくなりました。レストランで、スワミジは下痢の人には”strong black tea without sugar” (ミルクと砂糖抜きの濃いめの紅茶)を注文してくれました。インドのチャイは、紅茶にミルクとたっぷりの砂糖が入った甘い飲み物ですが、ミルクと砂糖抜きの濃く煮出した紅茶は、とても渋い飲み物になります。この渋い飲み物を飲むと、本当に下痢の症状が軽減しました。「たんなる紅茶がなぜ下痢に効くの?!」とても驚きました。のちに、渋味がもつ薬理作用のひとつに「収斂作用」があり、下痢を止めることに役立つことを知りました。振り返ってみてこのように巡礼中に、スワミジがその場で手に入るもので様々な処方をし、その効果が目の前で目撃できたことは、私にとって貴重な体験になりました。「この科学を、もっと知りたい」という気持ちがどんどん強くなり、聖地巡礼の旅を終えた後、帰国せずにそのままスワミジのアシュラムを訪れることを決めたのでした。