インドを旅していると、自分の概念が壊される瞬間が多々あります。インドでは、お金を乞う人がたくさんいます。お金を得るために、小さな子供たちも路上にでています。障害を持つ人や、赤ちゃんを連れた女性もいます。渋滞で停車中の車をすり抜けて、車の窓を叩いてお金を乞う子達もいます。正直、目を覆いたくなることがたくさんありました。「物乞いの人に、金銭を渡していいものか?」という問いには、いろんな意見があります。一時的にお金を渡したとしても、貧困から脱却できないという人もいれば、物乞いになったのは本人の問題だという人もいます。マフィアが組織的に子供たちを集め、物乞いをさせて資金源にしているケースもあります。映画「スラムドッグミリオネア」では、マフィアがストリートチルドレンを保護するようにみせかけ、歌が上手な子供の目を失明させ、路上で歌わせるシーンがあります。同情を集めるためわざと障害を作り、物乞いをさせるという悲惨な現実もあります。一方、インドには「喜捨(きしゃ)」の考え方があり、富をもつ者は貧しい者に喜んで施しをするという考えがあります。インド人でも、物乞いの人に対する対応はそれぞれです。聖地巡礼の旅では、ガンジス川の上流付近にある聖地のハリドワールも訪れました。神様グッズや儀式に使う法具を取り扱う小さな店がひしめきあうバザールがあり、とても賑やかで俗的でありながら神聖な場所です。私達は、ガンジス川で行われる「アルティ」と呼ばれる日没の祈りの儀式を見るために、川の対岸で待っていました。人が集まるところには、物乞いの人も多く集まります。小さな女の子が物乞いにきたので、私はあらかじめポケットに用意していた硬貨を数枚渡しました。人が密集している場所では、すぐにお金を渡さないとその場を離れずお金を要求され続けます。「私は自由に旅をしているのに、この女の子はかわいそう」と勝手に比較して、遠慮した気持ちや暗い気持ちになりました。その女の子は、スワミジにもお金をちょうだいのジェスチャーをしました。スワミジは、その子の鼻を優しくつまんで何かを言っていました。まるで、自分の子供をあやすような自然な仕草に、知り合いなのかな?と思ったくらいです。かわいそうな表情をしてお金をもらおうとしていた女の子は、急に子供らしくぺろっと舌を出して、去っていきました。道端で出会った物乞いの子と対等に話しているスワミジの姿と、物乞いの女の子の子供らしい表情にびっくりしました。物乞いに人と友達のように対等に話す人をはじめて見ましたし、ぺろっと舌を出した女の子の表情は明るく逞しい姿がありました。後から聞くと、スワミジはすでにその子に結構な額のお金を渡していたらしく、「もう充分あげただろう?」と言ったそうです。その時、女の子の物乞いをする姿しか知らない私が、勝手に彼女の人生に同情するのはとても失礼なことに気づきました。大袈裟に聞こえますが、「私は私の人生、彼女は彼女の人生を生きている」と感じ、自分の人生を誰にも遠慮せずに楽しもうと思えた瞬間です。同時に、「気持ちよくシェアできる」と感じたら、私は物乞いの人たちに対して自分のお金を気持ちよく渡そうと思えました。この出来事で、私の気持ちは霧が晴れたようにすっきりしました。心を開いて旅ができ、インドの様々な側面を思い存分味わうことができました。